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本多横丁(ほんだよこちょう)

神楽坂には横丁が沢山ありますが、この本多横丁は神楽坂の横丁では最も大きい横丁。むかし本多家の屋敷があったことから本多横丁と呼ばれるようになったと事です。

本多家とは、江戸時代の大名格の武家で石高一万五百石。この本多家の屋敷が江戸中期から明治の初期までこの辺りにあったとの事で、当時は「本多修理屋敷脇横町通り」と呼ばれていたらしいです。

本多修理とは、自動車メーカー・ホンダの自動車修理工場の事ではなく(笑い)、江戸時代後期(幕末)の福井藩の家老で「本多 修理(ほんだ しゅり)」の事です。

本多修理はウィキペディアによると、「福井藩士を務める家柄の子として生まれ、福井藩の家老を務める本多氏の養子となり、嘉永2年(1849年)に家督を継いで藩主・松平慶永に仕え、慶永の藩政改革のブレーンのひとりとして活動し、主に軍制改革で功績を挙げた。

安政の大獄で慶永が隠居した後は養子の松平直廉に仕え、第1次長州征伐では幕府軍の副総督となった直廉の軍事総奉行として小倉まで従軍し、明治時代に入ると再び慶永(春嶽)に仕え、側近として活動する。しかし老齢を理由にやがて隠棲した。明治39年(1906年)に死去。享年92。

尚、この本多横丁は、終戦後の一時期、スズラン通りと呼ばれた事もあったそうです。

本多横丁を神楽坂通りから見ています。この奥が軽子坂の通りで、本多横丁は神楽坂通りと軽子坂の通りの間の横丁です。

本多横丁の神楽坂通り側の出入り口

本多横丁側の芸者新道の出口。芸者新道は神楽坂通りと平行な路地です。

本多横丁側の芸者新道

本多横丁の通り。

本多横丁の通り風景

本多横丁の看板猫?

本多横丁の看板猫?

本多横丁の通り

本多横丁の通り風景

本多横丁の出入り口です。左に行くと軽子坂、右に行くと兵庫横丁の出入り口を左にみて大久保通りにぶつかります。

本多横丁の出入り口

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