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軽子とは軽籠持の略称であり、今の飯田濠にかつて神楽河岸があり、
船荷を軽籠に入れ江戸市中に運搬することを職業とした人がこの辺りに多く住んでいたことからその名がつけられたそうです。
河岸(かし)とは、船から荷を上げ下ろしする所とか、岸に立つ魚市場や飲食・遊びなどをする場所の意味があり、この神楽河岸は主に、船から荷を上げ下ろしする所であった様です
ここには揚場町(あげばちょう)と言う名の町がありますが、隅田川から神田川をさかのぼってくる荷船の積荷を下ろす、つまり「荷を揚げる」場所だからです。 飯田濠から軽子が荷を揚げ、軽子坂を登る。地位とは面白いですね。
軽子坂を外堀通りから見ています。
飯田濠、すなわち神楽河岸の跡です。かつては、この河岸まで船で荷を運んで軽子坂を人が運んだのですね。
今では綺麗に整備されています。
飯田濠の跡の住所は神楽河岸一丁目です。このビルはセントラル・プラザです。
軽子坂のある名画座「ギンレイホール」。沢山のお客さんが並んでいます。どんな作品が上映されているんでしょうか?
軽子坂の説明です。
この坂名は新編江戸志や新撰東京名所図会などにもみられる。
軽子とは軽籠持の略称である。今の飯田濠にかつて船着場があり、船荷を軽籠(縄で編んだもっこ)に入れ江戸市中に運搬することを職業とした人がこの辺りに多く住んでいたことからその名がつけられた。
新宿区教育委員会
平成十五年三月
軽子坂を上から見ています。下に行けば神楽河岸-外堀通り-に突き当たります。
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