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三年坂は、本多横丁を含んでいます。 神楽坂通りから軽子坂の延長線の道と交差するまでが本多横丁で、これをさらに進み大久保通りまでのなだらかな坂道が三年坂です。
夕暮れの雨に煙る三年坂
三年坂の名称の由来は「江戸の坂東京の坂」に「その坂で転んだものは、すぐにその土を三度なめないと三年以内に死ぬ」と書かれています。が実際には、三年坂のどこにも標識等がなく、名称の由来についてははっきりしていません。
この三年坂は、石畳のかくれんぼ横丁や軽子坂(鎌倉古道)と交差していて、住所表記では、神楽坂三丁目と四丁目の境界から津久戸町です。
神楽坂通りから軽子坂までの交差点までは本多横丁と呼ばれ、飲食店が並び賑わいがあります。三年坂と軽子坂(神楽坂通り、北東側に並行)との交差点に熊谷組です。坂下の大久保通りの左斜め前には、筑土八幡神社(つくどはちまんじんじゃ)が見えます。
筑土八幡神社の桜は、すばらしく境内までの階段の両脇の桜は見事。お花見の季節は大賑わいです。
又、赤穂浪士で有名な堀部安兵衛が高田馬場の決闘に向った際に、この三年坂を駆け抜けたと伝えられています。堀部安兵衛は、大川(中央区・亀島川)から高田馬場まで走ったと言われ、神楽坂から早稲田、高田馬場には、堀部安兵衛が駆け抜けたと言われる坂や道が、多々伝えられています。
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