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牛込橋は早稲田通り、千代田区富士見町と神楽坂を結び、外堀に架かる橋。
外堀は、江戸時代は江戸城外濠、一番堀と呼ばれていました。
現在は外堀の両側に遊歩道があり、桜の名所、お花見の人気スポットです。
牛込橋は平成8年(1996)に改架され、橋の中央辺りに飯田橋駅西口の改札があります。
飯田橋駅を挟んで、北側が千代田区富士見、南側が神楽坂です。
牛込橋南側、九段界隈は有名校が多くあり、閑静なエリアです
明治23年に同地に開校した暁星学校は、フランス語学校として多くの著名人を輩出し、小説家永井荷風もそのひとり。
神楽坂が通学路、荷風の原点が神楽坂にあると言われています。
又、牛込橋の南側には、牛込見附門の石垣が現存しています。
牛込見附門は、寛永13年(1636)に築造された江戸城三十六見附のひとつで、見附門は堀に面した枡形の門の事です。
牛込見附門の石垣には、この門を施工した徳島藩主蜂須賀家、阿波守(あわのかみ)の文字が刻まれています。
毎夏恒例の神楽坂阿波踊りは、徳島とのご縁があったからなのですね。
牛込橋の北側は、善國寺 毘沙門天、赤城神社など歴史のある神社や花街として隆盛を誇った神楽坂の街が広がっています。
神楽坂の歴史は、寛永5年(1628)大老坂井忠勝が坂上の矢来町に屋敷を拝領した事からはじまります。
神楽坂下の江戸城外濠と矢来町を結ぶ約1キロメートルの大老登城道が造られ、沿道は武家屋敷として地割りされました。
現在の神楽坂通りです。
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