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ここから飯田橋までの現在ビルが建っている一帯全部が、以前は深い濠になっており、飯田濠を呼ばれていた。
飯田濠は、市ヶ谷濠、牛込濠から神田川にかけて続いている江戸城、外濠のひとつであった。
昭和47年に市街地再開発事業としてビル建設が決定され、飯田濠は埋め立てられることになったが、濠を保存してほしいという都民の強い要望から飯田濠の一部を復元した。
この道路脇の石垣は、江戸時代のものである。昭和59年3月 東京都
飯田濠は案内板に記載されているように、神田川へとつながる濠で、神田川の下流、水道橋で日本橋川と分かれた後、御茶ノ水、秋葉原、浅草橋と並行して流れ、隅田川へ合流します。
神田川最下流の橋 名 は柳橋で、この辺りの隅田川は大川端と呼ばれていました。
又、江戸時代の石垣は、JR飯田橋駅西口の牛込橋の辺りにも多く残されており、遠くて近き江戸を感じられます。
飯田濠は、当時の流通を一手に請け負った運河だったのは、軽子坂(かるこざか)や揚場町(あげばちょう)などの地名からも伺い知ることが出来ますが、ラムラ飯田橋のある商業複合施設の駅ビルが建っています。
因みに、軽子坂の軽子は荷揚げ専門職人の呼称で、揚場町の揚場は荷揚げをする場所の事です。 (※ビルの1階には、新宿区と千代田区の境界が表示されています)
江戸の名残と言えば、運河は現在の首都高速道路に引き継がれています。
あの曲がりくねった道路は、人間が造作したも のではなく、自然 のありのままの姿をそのまま模したものでした。
さて、暗渠となった飯田濠には、五つの橋が架かっています。
ひとつは、JR飯田橋駅西口から右手にある「みやこ橋」親柱に都鳥の意匠が施されています。
みやこ橋は、駅ビルの2階に当たり、広場のような佇まいなので、フリーマーケットや神楽坂のイベントの催場となっています。
残りの四つの橋は、外堀通りに面した親水公園にある「さくらばし」「けやきばし」「かえでばし」「ひいらぎばし」で、それぞれ四季折々の代表する樹木の名が付けられています。
私が、飯田橋から神楽坂に抜ける時、よく利用するのは「さくらばし」です。
神楽坂下交差点から神楽坂通りを上るより、神楽坂通りと並行した軽子坂の方が、人並みが 少なく、歩き易 いからです。
人並みを避けて、軽子坂を上り、本多横丁を左折すると神楽坂通りに当たり、正面に「毘沙門天さま」が見えます。
一見、迂回しているようですが、時短の際には、お薦めのショートカット神楽坂です。
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