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軽子坂は坂下が外堀通り、神楽坂の東側に平行する坂道で、坂上は大久保通りに続きます。
歴史は神楽坂よりも古く、鎌倉時代に遡ります。
軽子坂上には鎌倉古道の跡があり、国府と結ぶ重要な道路がありました。
軽子坂は、江戸時代明暦の大火後に、徳川幕府の命により発展した荷揚場です。
軽子は、舟でつく荷物を坂上にかつぎ上げる人足の事で、 江戸時代、軽子坂下には飯田濠の揚場であった神楽河岸がありました。
下総(千葉県)から水路によって、穀類、酒、魚介、米、野菜などが神楽河岸に着きました。
当時は、神楽坂も軽子坂も現在よりも、坂の勾配が急だったようで揚げ荷は、軽籠に入れて坂上の武家屋敷などに運ばれました
軽子坂の標柱には、
「軽子とは軽籠持の略称である。
今の飯田濠にかつて船着場があり、
船荷を軽籠(縄で編んだもっこ)に入れ
江戸市中に運搬することを職業とした人がこの辺りに
多く住んでいたことからその名がつけられた」
と記載されています。
神楽河岸の跡地は、飯田橋セントラルプラザ、ラムラ飯田橋が建設されました。
毎月(要確認)リサイクル運動市民の会主催のフリーマーケットが、2階アーケード、みやこ橋で開かれています。
現在は、埋め立てられている神楽河岸の名は、揚場町と共に、新宿区の町名として残っています。
軽子坂の坂下には、昭和49年(1974)にスタートした名画座、ギンレイホールがあります。
都内でも、数少なったロードショーが終わった旧作映画を上映している名画座。
昭和の香りが残る名画座ギンレイホールは、一度の入場で2本の映画が楽しめます。
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