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袖摺坂は、大久保通りから横寺町に上る階段の坂。
坂上の標柱には、以下のように記載されています。
俗に袖摺坂と呼ばれ、両脇が高台と垣根の狭い坂道で、すれ違う人がお互いの袖を摺り合わしたという
御府内考
江戸と呼ばれていた頃は、みんな和服。
着物の袖が、この坂を行き交う人々が触れ合っていたのですね。
袖摺坂上から、大久保通り界隈が一望、都営大江戸線牛込神楽坂駅A2口と脇を上る緩やかな坂、弁天坂が見えます。
坂の中央辺りにある案内板には、以下のように記載されています。
名は坂下の南蔵院境内に弁天堂があったことに由来する。
明治後期の「新撰東京名所図会」には南蔵院門前に
あまざけやおでんを売る屋台が立ち、
人 通りも多い様子が描かれている。
坂上近くの横寺町四十七番地には尾崎紅葉が
明治二十四年から三十六年十月病没するまで住んでいた。
門弟泉鏡花、小栗風葉らが玄関番として住み、
のちに弟子たちは庭つづきの箪笥町に家を借り、
誌星堂または紅葉塾と称した。
弁天坂上は、袋町。
光照寺(牛込城跡)、日本出版クラブ会館、天文屋敷跡地などがあります。
袖摺坂の坂上は閑静な住宅街で、突き当りは朝日坂、長源寺。
朝日坂を左手に進むと尾崎紅葉旧居跡です。
弁天坂の説明では、弁天坂上に尾崎紅葉旧居跡があったように 書かれていますが、袖摺坂の坂上にありますよね。
どうしてなのか、ちょっと不思議です。
この閑静な住宅街の窓に、ポップな猫がいました。 窓いっぱいの猫の顔、愛嬌がありますね。
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