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大手門通りは、別称 毘沙門横丁で神楽坂通りの毘沙門天善國寺から若宮町に抜ける通り

大手門通りの写真

大手門通りは、別称 毘沙門横丁。

神楽坂通りの毘沙門天善國寺と都市銀行の間 から、若宮町に抜ける通りです。


大手門通りの写真

平成21年(2009)に、 ミシュランの三ツ星に選ばれた日本レストラン 神楽坂 石かわがあります。

大手門は、城の正門の事。 神楽坂の城は、牛込城ですね。 牛込城跡地には、光照寺が建っています。


大手門通りの写真

新宿区登録史跡の牛込城跡の案内板には 以下のように記載されています。

光照寺一帯は、戦国時代にこの地域の領主であった 牛込氏の居城があったところである。

堀や縄文、城館など場内の構造については記録がなく 詳細は不明であるが、住居を主体とした館であったと 推定される。

牛込氏は、赤城山の麓 上野国(群馬県)勢多大 胡の 領主大胡氏を祖とする。

天文年間(1532〜55)に当主大胡重行が南関東に 移り、北条氏の家臣となった。

天文24年(1555)重行の子の勝行は姓を牛込氏 と改め、赤坂、桜田、日比谷付近も含め領有したが、 天文18年(1590)北条氏滅亡後は徳川家康に従い 牛込城は取壊された。

源氏の光照寺は、正保2年(1645)に神田から 移転したものである。

なお、光照寺境内には新宿区登録文化財 諸国旅人 供養碑、便々館湖鯉鮒の墓などがある。

平成7年8月


大手門通りの写真

諸国旅人供養碑は、文政8年(1825)神田松永町 の旅籠(はたご)紀伊国屋が、客死した旅人を供養 する為に建立しました。

便々館湖鯉鮒(べんべんかんこりふ)の墓は、 幕臣で狂 歌師、牛込山伏町の居住していました。


大手門通りの写真

大田南畝の揮毫による便々館湖鯉鮒の歌碑が、 西新宿の常圓寺にあります。

大手門通りは、小栗通りを横切り、若宮八幡神社、 庚嶺坂(ゆれいざか)の坂上に続きます。

庚嶺坂の坂下は、外堀通りです。

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