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大手門通り(おおてもんどおり)

大手門通りは毘沙門天から神楽坂下方向に向かってすぐの右側路地で、はかつて戦国時代にあった牛込城(光照寺の辺り)に通じる通りです。

神楽坂通りから大手門通りを歩くと牛込城大手門跡に行きます。牛込城は、1645年(徳川三代将軍家光の時代)まで牛込氏の居城で、牛込城跡の本丸跡には、光照寺(牛込城跡)が建立されています。

この大手門通りは、毘沙門天(善国寺)と三菱東京UFJ銀行の間にあり、大手門とは、室町時代に築城された牛込城の表門(正面)の事です。大手門通りを表門まで行かないで、途中で左に折れると、小栗通り入り口や、若宮八幡神社がある庚嶺坂(ゆれいざか)とです。

大手門通りを神楽坂通りから見ています。
右が毘沙門天(善国寺)で左が三菱東京UFJ銀行です。

大手門通りの写真

大手門通りを進むと、有名な割烹料理店である「神楽坂 石かわ」が有ります。
「神楽坂 石かわ」は高級で自費では難しいですが、接待なら何時でもOKです。是非受けたいですね(笑)

この写真の左が「神楽坂 石かわ」の入り口で、奥が神楽坂通りです。毘沙門天(善国寺)は左で三菱東京UFJ銀行が右。

割烹料理店「神楽坂 石かわ」入り口

牛込城と牛込氏

牛込氏はもと大胡(おおご)姓で、現在の群馬県勢多郡大胡町はである上野国赤城山南麓領主でした。
武蔵国守護の上杉氏の家臣であったが、大永4年(1524)に北條氏綱が江戸城を攻略させたときから、 小田原北条氏の家臣となって、牛込地域の領主になったそうです。
牛込城にいて、北条氏の江戸衆の主要メンバーであった。天正18年(1590)の北条氏の滅亡により江戸に入場した徳川家康に従い、後旗本となって幕末に至った。

北条氏の滅亡後牛込城は徳川家康により取り壊され、正保2年(1645年)に光照寺が神田から移転しました。
光照寺は羽後松山藩坂井家の菩提寺であり、一族の墓が並んでいます。
光照寺境内には新宿区登録文化財の諸国旅人供養碑や狂歌師の便々館湖鯉鮒(べんべんかんこりゅう)の墓もありますが、現在牛込城跡の面影は残っていません。

大手門通り近辺の風景1

大手門通り近辺の風景1

大手門通り近辺の風景2

大手門通り近辺の風景2

大手門通り近辺の風景3

大手門通り近辺の風景3

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